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吉相墓のルーツ

吉相墓のルーツ

吉相墓のルーツは、古くは中国の殷(いん)の時代の「風水思想」 という墓地の吉凶を鑑定する学問で、 わが国では、聖徳太子が造詣が深かったという伝説があります。今日に見るスタイルが確立されたのは昭和に入って、 初代竹谷聰進師の研究成果によるところが大きく、吉相墓は師によって完成されたといえます。

師は、歴代の墓相学の権威者である高田師・西岡師、大浦師、 あるいは多田(中山)通幽師の教えを研究され、近代墓相学の先駆者である松崎整道師に師事されました。 竹谷師は、全国のお墓を物差しと磁石、カメラを持って調査され、 その集大成として、「先祖の祭祀と家庭運」を著しました。

師は、「墓は子孫の禍福と財産の関係を如実に表す。墓はその家、その人の運命を開くだけでなく、一族一家の盛衰にも関わる」と結論され、 その膨大な調査資料において93%以上の確証をつかみ、世のため、人のためにその事実を広く世人に知ってもらおうと公開された次第です。

風水 :墓所を吉地に選んで陰陽の調和をはかることで、地気の恵みを受け、子孫の繁栄を願う思想。 また、孝道に基づいて祖先の遺体を吉地に葬ることから、地中に存する生気を死者が受け、 その死者の安らぎが、子孫に長寿、財富、無病息災の恩恵を授けるという思想。

墓相学の権威

松崎整道師:

松崎整道師は、汽船会社の社長藤山要吉氏の秘書をされておられましたが、大正6年に藤山氏が多田通幽師(中山姓ともいう)の信者となり、 同氏に付き添って何回か通幽師に接する間にその思想に共鳴し、後に東京において自ら墓相学を説きました。
無縁墓を募集浄祭し、地蔵行および地蔵流しを修し、更に千灯供養を行うなど、通幽尊師の教えになる福田の一部や行法をする「徳風会」を起こされました。

竹谷聰進師:

明治37年、京都嵐山で出生。幼名は春栄といい若い頃から易学に興味があり、墓相学の権威者 松崎整道師に師事する。
恩師亡き後、徳風会を受け継ぎ、実地研究による墓相学を集大成し、「先祖の祭祀と家庭運」を著わす。師の研究により空前の墓相ブームが到来した。

初代竹谷先生建墓風景

三井家建墓風景-初代竹谷先生

初代竹谷先生調査旅行の一コマ

徳風会地蔵流しでの
小嶋先生(中央) 鷲見先生(右)

初代竹谷先生現地指導風景

松崎整道先生(カゴ) 初代竹谷先生

●家庭墓

<一重枠式>
初代供養塔・地蔵(逆死者)家庭の安泰・永続、サラリーマン(役職なしの場合)、農業の人に向く。

●家庭墓

<二重枠式>
商売人、サラリーマン(役職付き)向き、又は地形を吉相に変える場合に用いる。外枠があると内枠を保護する。 家庭も不況其の他大変動の起こった際、保護される運命となります。また、悪い地相を改良するためにも有効です。

●家庭墓

<二重枠式・横墳墓型・二墓制>
清墓(遥拝所)と墳墓地(埋葬地)とに区分けする型。最低間口13尺(4m)入要。

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