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家系図の不思議

松崎整道居士 講演

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三 墓と家運の盛衰

子孫の繁栄

墓、すなわち石碑、石塔がめいめい家運とどういうかかわりがあるのでしょうか。
これは、大変興味のある問題であるとともに、わが日本国家の一大問題であるということもできます。
なぜならば、わが国の如く上に万世一系の皇室を戴く国民として、 我々の家も畏れ多いがこれにあやかり子孫が長く続いて、 且つ栄えるということはわが国民の大なる理想でなければならないことと信じます。 またこれは我々の一大願望であると信じます。

墓は相続を表示す

私が多年研究した結論から申しますと、お墓はその家の相続を表わすものであるということを申しておきます。
またお墓は、その家の根であるということを申しておきます。
なにゆえお墓は家の相続を表すかといえば、 三百年この方建てられた民間各家の墓を数十年これを調査研究いたしましたが、 代々親の墓は子が建て、子々孫々、代々これを順々に建て来たりし家は、 子孫よく続いて且つ栄えておりますが、これに反したる家は、或いはつぶれ、或いは枯れてついにことごとく絶えております。

生存中に自ら墓を建てた人の家運

また世の中には、大変に手回しよく自分の墓を自分で建てるものがございます。
このような場合、その子は病人となって世の用をなさぬ廃人となるか、 または放蕩をはじめるとか、不良の徒となるとか、とにかくその後は満足でなくやがて絶えるようなことになります。

他国に生活する人の故郷の墓地

また家を相続する人が他の土地に出て生活するものが少なくありませんが、 その家の墓所を調べてみますと、その墓所にはもはや一基の石塔も立つ余地のないのが不思議です。
相続人が他郷に生活している事情は種々ありまして、ある者は大学で医学を勉強して医学士となり、 または医学博士となったが、郷里の田舎に帰ってはせっかく勉強したかいがないから都会で病院に勤めるとか、 学校で教鞭を執るとか、また或いは自ら開業するとか、その他或いは法学、文学、理学、工学または商学とか、 種々様々な学問を学んだものが田舎の町村などに戻ったところで始まらないから東京なり、 またはその他の都会なりで弁護士となるか、裁判官となるとか、そのほか官公吏となるとか、 或いはまた銀行各社などに勤めるとか、または自己独立の事業を経営するとか、 それぞれ学校出身者はもちろん、 そのほか種々の技芸職業を覚えたものも同じく田舎に帰っても商売にならないので広い都会で働くとか、 稼ぐとか、種々様々でありますが、 要するにはそれは現世の事情に過ぎないのでことの因縁はその家々の墓所を見れば分かりますが、 前に述べた通りやはり一基の石碑を建てる余地が有りませんのであります。

建てる余地なき墓地はその家枯れる

お墓がいっぱいになって余地がなくなると、 だんだんその家が枯れてきて終に死に絶えてつぶれるようになるとか、 またはその相続人が他に出てしまうようになります。
人の家はあたかも盆栽のようなもので、我々は縁日の夜店や植木屋などで花がよいとか、 樹ぶりが面白いとかいってこれを買って帰り、水ぐらいは絶えずやりますが、 もとよりその培養の方法を知りませんから、しばらくするとほとんどみな枯らしてしまいます。
それを盆栽に趣味を持つ人や植木屋などになりますと、枯らすどころか持てば持つほどよくして参ります。
それはその樹や草の種類によって毎年とか、隔年とかにこれを鉢より抜き出してその古根を切り取り、 土を入れ替えて新しい根の出るようにして、時々必要な肥料を施しますからだんだん良くなるのであります。

墓石を整理せざれば其の家滅亡す

人の家もこれと同じく、墓地いっぱいに石塔の数がふえたらこれを整理しませんと、 前にも申したとおり絶えるとか、つぶれるとか、または相続人が家出してしまうようになります。 其の実例を挙げますれば、すこぶる沢山の資料を有しますが今一つ二つ挙げますと、

墓地を整理して家出人帰国す 実例の一

ある家の相続人が青年のころ外国に遊学いたしまして、予定の年限はとうに過ぎましたが戻ってまいりません。 それが五年過ぎ、十年過ぎ、十五年過ぎ、果ては二十年過ぎてもなかなか帰るような様子もありません。 両親も追々と老境に及び、初めはこの両親から帰国を促すこと幾十たびかわかりません。 後には親戚とか、縁者とか、友達とかからこれも幾たびか数知れぬほど帰国を迫りましたが、やはり帰ってまいりません。
そのうちにふとしたことから、 その家の菩提所である寺院において墓地整理のことが行われることになりまして、 石塔で一杯のその家の墓所も整理されることになりました。 その結果、その家の墓地も大いに余地ができてまいりました。 すると前に申すとおり幾年の間、幾十度帰国を迫りましたが戻らなかったものが突然帰って参りました。

相続人は先祖の現れである

家を相続する息子は、すなわちその家の先祖の現われ来たものでありまして、 その先祖にあたる相続人が死していくべき墓地が一杯であれば、いくところがありません。
これがなかなか帰ってこなかった因縁でもあります。 それが墓地の整理が行われ余地ができたものですから偶然にも戻ってくるようになったのであります。

実例の二

またある家の相続人も支那の方に行って働いていたのですが、 これまた今年は帰る、来年は戻るともうしながら、なかなか帰ってまいりません。
その家はその父の代に中国の方からこの東京に移ったのですが、 墓所は遠き郷里に有りましてほとんど一杯になっておりました。 父親は先年没しましたが、まだこの東京には墓所さえも持たなかったのを一人残って留守する母親が、 この東京において新たに広々とした墓地をもとめましてその父親のお石塔を建てました。
するとこれも不思議と何年かぶりで帰ってまいりました。

実例の三

またある家では、一人子の相続人が少々放蕩をはじめまして、家を飛び出し四五年も戻ってまいりません。 その両親はかけがえのない一人息子の事なれば、一通りの心配ではありません。
然るにこの家は、その父親が分家されたのでまだ墓所を持っていません。
ところでふとご縁があってその父親が私のところに来られたときにその息子の家出のことをなげかれ、 これに対してお墓の有無を尋ねましたら、その人がおっしゃるには 「私は分家したものでありますからまだお墓はありません。 しかしせがれの家出にはことごとく心配しておりますが、まだ墓のほうは心配いりません」と大いに不満げのようでありましたから、「それはごもっともでありますが、おおよそ人は家があっても墓所を持たねばその家は永続しないで滅び、 また墓があってもその建方が悪ければ、その家もまた枯れるにいたる」と言う理由を詳しく説明したところ「さようなものかもしれませんが、私は墓所を求めましても第一にお祀りする仏がありません」という。
「そのとおり、あなたは分家した初代の人ゆえまだ仏はありますまいが、父母はありましょう。 祖父母はありましょう。またその先祖もありましょう。 墓所を求めてそれをお祀りするのである」とさらに説明しますと、またその人が申されるには「それは父母も祖父母もそのまた先祖もありますが、それは皆本家で兄が祀っております」と誠に怪訝そうな顔で答えられましたから私はこれに対して「それを本家で祀ってなくては大変です。 しかし、子として親及び先祖を祀るということは、何も本家とか兄とかに限ったものではなく、 子どもが沢山あれば、その沢山な子どもがおのおのことごとくその親及び先祖を祀り、供養せねばなりません。 子として親及び祖先をたとえ忘れはせぬとしても、これを祀って供養せねばその人の後はありません。

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