調査旅行の1コマ 松崎整道先生(カゴ) 初代竹谷先生(右)
「倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る」
これは中国春秋時代、斉の宰相であった管仲の言葉である。
意訳すれば、経済的なゆとりができれば、人々は礼儀道徳に関心を持ち、 名誉と恥辱をわきまえるといった内容である。 しかるに大東亜戦争の敗戦で焦土と化したわが国は、戦後めざましい経済発展を遂げるも、 昨今の世相を見るにかの管仲も驚嘆する有様である。
いまだ政・経・官の不正は底をつかず、止まるところを知らない。 残忍な殺人事件は日常茶飯事起こり、いじめや登校拒否など教育病理はその打開策を見つけられず、 教育の現場は崩壊寸前である。 つまりこれらの社会病理は、「法に触れていなければ許される」という、 戦後民主主義の誤った解釈がその要因の一つであろう。 弁護士の中坊公平氏のいう「法律は最低限の基準であり、 法律の上にモラルがある」は誠にうがった意見である。
また宗教教育の怠りも大きな要因に値する。神を敬い祖先を崇拝するわが国古来の美徳は、 ややもすれば右傾化と見られ、無宗教こそがリベラルであるという勘違いの教育が、 昨今の無表情、無感動の子どもを養成してきたのである。 各学校、各地域、また各家庭での宗教的な行事の実践により、敬神崇祖、 ひいては長幼の序を涵養するものである。 さらには家庭内での神棚、仏壇の礼拝や墓参も重要な道徳教育にあたいする。
ことさらお墓というものは、個人の家庭のみならず、 地域や国家の存続にもかかわる重要な建造物であると聞く。 なぜ死者の霊を慰め、祭祀を執り行う墓所がそんなに大事なのかは、 あまたの書籍によりうかがい知ることができるが、 ここに徳風会の創始者である故松崎整道師の講演会を基に編集された『お墓と家運』を紹介する。
昭和の初期に森江書店から発行されたものであるが、 墓石の祀り方と家運の関係を統計的にあらわした初めての書籍ではないかと考えられる。 インドのタージ=マハールや、中国・明朝の陵墓、あるいはわが国の仁徳天皇陵などの巨大陵墓から、 名もなき民の土饅頭まで、お墓は様々な歴史や人生模様を映し出しており、 その形態(相)をとおして王朝の行く末から一般の民草の一生までも見通している。
さらに祭祀を通して人としての歩むべき道とは何かを、師は繰り返し繰り返し、しかしながら決して語気を荒げることなく、切々と説かれていることに気づかれるだろう。
ここに師の研究の深さと、人格の尊さを知るに到る。末筆ながら松崎整道師並びに、平成18年11月30日に逝去された二代目竹谷聰進師の菩提を弔い、はしがきにかえる。